社会の理系化

今後どのような分野が成長していくのか、

そのような分析をしている業界図鑑みたいなものがある。

あらゆる分野において

今後伸びるであろう、衰退していくであろう

予想がされている。

今後投資されていくことがわかっている領域には資本も人も投入される。

ざっくり見ていくと、ほぼ文系の人には理解し難い分野が多い。

もしかしたらほとんどかもしれない。

理系人材は圧倒的に不足していてその人たちにしか出来ない仕事が多い。

多くの人は文系で限られた分野に集中するので賃金も上がりにくい。

この足りない領域は外国人が埋めていくこととなる。外国人に高い賃金を払って。

都内でも日本人が手に入れられなくなったマンションを外国人エリートが永住権をとり、ローンをかりて購入している。

彼らは世の中で必要とされる学問やスキルが何かを理解して高給を得る。

 

 

元気がない人が多い

なんか元気のない人が多い。

そもそも自分の人生すら生きることが許されていない人が多い

こうあるべき といわれて育ち、それに沿って生きてきましたと。

多くの人にとって、民主的でもなく、自分らしく生きれるでもない。

人間の社会は野生の世界と変わらない。

生き抜くことは簡単ではない。

壮大な長いゲームをしている。

しかもルールは公表されていない。

ほとんどの人には不利に作られている。

自分のことをよく考えないといけない。

誰も自分のこと以外は考えることはできない。

施しを待っていてはいけない。

その間に人生は終わる。

 

 

 

別に日本が好きではない

まず、少子化は止まらない。いまさらどうしようもない。平成の初めには少子化担当大臣がいた。猪口さん。それから結果は何も出せていない。猪口さんは私の時は解決したと言っていた。みんな無責任なのだろう。

その国の経済規模って人口 それも生産年齢人口と生産性に大きく依存する。

生産性は上がらない。

既得権益を守り続けたいこの国で、生産性は大きく上がらない。人を犠牲にすることに躊躇がない。

昔からずっと個人の人権は最も大事なものではない。

食べ物がおいしい、平和であるから好きというひともいるが。

その人にとっては人権より美味しい食べ物のほうがだいじなのかもしれない。

男女差別とか昭和も平成もかなり激しかったと思うけど。

 

気にならないのかもしれないが。

 

 

 

 

ガネーシャ ロス

夢をかなえるゾウシリーズを図書館で借りて3冊読んだ。

貧乏神、死神、あとは1

それぞれの強烈で魅力的なキャラの神様たちの言葉がとても面白く、ウイットに富んでいて、あたたかくて、期限が来て返却してしまい、ロスになってしまった。

寂しくてしょうがない。

本を読んでこんなにロスになったことはなかった。

 

なんでかなと思うと、私にもガネーシャが必要なのかもしれない。もしかして疲れているのか。

 

30年ぶりぐらいに東京で暮らしはじめて、たびたび電車に乗って気がついたことなのだが、

通勤時間の電車にのると、本当みんな疲れたしんどそうな顔をしている人が多い。

なんていうか、しんどそうというのが、ただその日の仕事に疲れたという感じではない。なんかもう人生そのものに疲れたみたいな、もうどうしていいかわからないぐらい疲れた顔をした人も少なくない。

東京の都心もそう。

大勢の人の表情がどこか暗い。

30年前の東京はもう少しみんな顔が明るかった。

疲れてはいてもこんなに疲れ切った人は多くはなかった。

 

30年前、40年近い前はもっと新しいものを生み出すようなエネルギーが感じられて

この街はもっと元気だった。

 

この国はどうなってしまうのだろう。

 

そんなことも思いながら、ガネーシャロスになっているのであるが、

ガネーシャの言葉のなかで、気に入った言葉がいくつもあって

人気のお店に入ったらなぜ人気なのかを考えてみるというのがあるのだが、

ふだんぼうっと過ごしている私にはとても頭の痛い話ではあるが、確かにどのお店にも理由があるわけで、世の中の人が何を求めているのか、何にお金を払っているのか、確かに街にはたくさん学びがあると思ったのである。

 

人によっては河童にあったことがあるとか、小さいおじさんをみたとか、言っている人もいるので、何か神様みたいな人間でないものにいつか出会えることもあるのかもしれない。

きっと小さいおじさんに会っても黙っていると思うので、もしかしたら意外と会っている人は思っているより多いかもしれない。

 

 

創作する 身体を切るとは

アニメ異国日記のなかで、小説家が小説を書くということを刀で自らを斬りつける行為としてシーンが描かれていた。

そのシーンの印象が強くて、どういうことなのだろうとずっと気になっていた。

自分の中にあるものをえぐりとって言葉に表現する。そこには何らかの痛みなのか、何か大変な何かが存在する。

でも、自分の身体としてイメージができない、どんな感覚なんだろうと。

ところが、この前pivotの高橋さんが番組のなかで、自分の心血注いで作った番組が打ち切りになると、自分を否定されたような気持ちになると、それは、それらが

人格を切り出して作ったもの、脳の一部を出したものであるからと言っていた。

 

言葉にできない気持ち、あるいは気持ちとしてすら認識されない心の奥底にあるもの、

そういうものを表現したり、何か見たいもの聞きたいことを代わりに聞いてくれたり、それが人を救ったり、楽しませてくれたりするんだなと。

こうも言っていた。

作り上げたコンテンツというものが世の中に認められることの快感はどんな快感よりも大きいと。

作品づくりの面白さというのはそういうところにあるのかもしれない。

でも、まだ、自分の内臓を抉るような、脳を切り出すようなそんな感覚がピンとこない。

 

 

アニメ異国日記から覚えておきたい言葉

自分が一生懸命他の人のためにしたことの多くは他人の行動を変えない。たいていのことはうまくいかない。

感謝もされない。

そして考えて考える。

最後は考えない。

子育ても結婚もいつの間にか、相手にのために何かしたような気になるが、本当は自分のためにしているのだ。

人間はそんなに人のために何かをしない。

そうしない自分が許せないからするのだ。

確かに結婚する時も子供を産む時も人のためにしているわけではない。

自分がしたいか、しない自分が許せないからするのだ。

また、別のことば。

なりたい自分になる。

なりたい自分になりたいと思ってきたけど、でも最近、運命の流れに大きく逆らってもうまくはなかなかいかない。

運命を受け入れた上で一歩ずつ進んでいく。

それは一歩ずつしか進めない。

そして、その一歩ずつを楽しみながらいく。

それは楽をするということではない。

考えて考ぬく。

 

語学というのは毎日の積み重ねが必要だ。ガイドになってしばらくしてからだが、毎日のように少しずつ英語学習をするようになり、習慣として一年以上続いている。こんなに自主的な勉強が続いたことは大人になってはじめてだ。

筋トレやさまざまなこと、毎日強制されないのに一歩ずつ積み重ねることの大事さよ。