女子
少し前までは、完全に大人としてみられていた世代でも、最近女性は女子と名乗るようになった。
人によっては50前後の人までも自らのことを女子と呼び、外見の若さや美しさに力を入れ、お金もかけて必死で磨こうとする。そして、極めて美容に関心が高く、すごく価値をおいている。
ダイエットをして、20代のころと変わらない体型を維持する、しみしわを作らないために全力を尽くす、太陽にあたらないようにするなどその努力にはすごいものがある。
もちろんそのためにかかる軍資金をいくら用意できるのかもすごく重要なこととなる。そのために働いている人もいるだろう。
がんばって美しくあろうと努力していることについていうと、個人の自由だ。
しかし、若い女性から年配の女性まで、もしかしたら、10年後20年後には高齢者まで、多くの女性が美しくなることを最優先に生活したとしたら、それはそれで異様ではないか。
日本の社会は、やたらと若いこと、美しいことに価値をおく。
年をとること、美しくないことがまるで悪いことであるかのようだ。
そのような社会のなかで、強迫観念にかられて、いつまでも若さと美しさを必死で追い求める女性がたくさん存在するのであれば、それは健全な姿ではない。
人生はそんなためだけにあるわけではないし、あくまでもそれはほんの一部であって、人は本当に自分のしたいことを追及すべきだ。
社会からの評価はときに、一方的なものなのだ。
さまざまな人のもついろいろな生き方や価値観を認められる社会にならなければ、それは成熟した社会とはいえない。
また今生きている社会を成熟させていくのは、そこに住む人間だ。