何か書こう

考えるための日記

子供の声は騒音なのか

保育園や幼稚園ができると隣に住む人が迷惑がることに対して、とても心が狭いようないわれかたをしているし、一方預ける立場の人たちからは少子化なんだから、もう少し多めに見るべきというような声もあがっている。

 

隣に住んでいる人の気持ちもわからないわけではない。私も近くに小学校があるが、実は車を運転するときにものすごく気を使う。飛び出してこないだろうかとか、事故を起こすわけにはいかないので、やはり、近くに子供の施設がない人にくらべれば絶対神経を使って運転している。それも、一日だけではなく、毎日のことなのでやはりしんどくないわけではない。

 

隣に保育園や幼稚園がある人も、きっといろいろと実際には気を遣ったり、しんどいことはあると思う。体調が悪いときにはうるさく聞こえることもあるだろうし、行事などの日は車が多かったりもするだろう。実際、徒歩で登校するはずの小学校の前も違法駐車が多い。

 

それでももちろん、やはり子供たちも社会の大切な一員であるから、大声を出すことも、走りまわることも、時には暴れることだって必要なことだと思う。

 

どうして嫌がる人が多いのか。私はそれは老人が社会から大切にされない社会になったことも原因であるように思う。確かに高齢者向けの政策とかはあるかもしれないが、独り暮らしの老人が多かったり、孤独な老人が多かったり、実はさみしい思いをしている高齢者がとても多いのではないか。実感として、老人はこの社会では結構それだけで、嫌われているし、じゃまものにされている。

もちろん、みんなそのことをわかっていて、将来のためにお金を蓄えている。老後お金のない高齢者なんて誰からも相手にされないと思っているのだ。みんな自分を守ることに精一杯なのだ。

みんな自分は損をしたくないと思っている。高いおかねを出して買った家の横に保育園がくることを歓迎するはずがない。何もそれはメリットがないからだ。

 

保育園に通わせている保護者も、たとえ隣の人が黙っていてくれたとしても、ありがたいとは思ってもそこまでである。その人が例えば困ったことがあったときに、普段お世話になっているからと助けにいこうと思うか、隣の人のために何かをしてあげられるのか。

 

結局みんな自分のこと、自分の家族のことで精いっぱいだから、他人に対して思いやりがもてないのだ。みんなが本当にまわりのお年寄りのことを大切にし、気遣い、周りの困っている人に手をさしのべられるようになれば、必然的にまわりの子供たちのことも助けようと思うのではないかと思う。